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城山と呼ばれる尾根上にあって、土塁や堀などの遺構が残ります。昭和57年(1982)には測量調査が行われ、その略測図が公表されています。年代の特定は困難ですが、元亀・天正の頃(1570−1591)のものとも推定されています。
『三河国二葉松』には「足山田村古城 秋山新九郎」、『三河国古今城塁地理志』には「足山田村屋敷
秋山新九郎」と記され、共に城主は秋山新九郎と伝えます。『三河国宝飯郡誌』では「城主秋山新九郎ハ武田氏ノ臣下ナリ」としています。
また、城跡の東方およそ1kmの所に「六郎辻」という地名が残っています。これは足山田城にいたという秋山六郎の名に因んだものです。武田方の城であった足山田城は、信玄が野田城で負傷して甲州へ向かうと、家康に攻略され陥落しました。新九郎の家臣だった六郎だけが生き残り、長山村に逃れ住むこととなりました。地元の人々は「城山くずれ」と呼びましたが、やがて打ち解け、長篠合戦の時まで過ごしました。後世、村人らは彼を偲んで墓を建てて供養し、大正8年(1919)には墓前に「烈士秋山六郎の碑」がつくられました。
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